善
根 寺 春 日 神 社 境 内 御 案 内 |
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造酒斎殿 天児屋根命(あまのこやねのみこと)が同神社に立ち寄った際、村人ら
が新米で酒を造り、もてなしたのがお神酒造りのはじまりと言われてい
ます。近年では、秋の収穫に感謝する伝統行事として受け継がれ、そ
の年に還暦を迎えた「宮座」とよばれる氏子が中心となってお神酒造り
を行うことから、長寿を祝う行事ともなっています。この日、氏子たちは
酒米およそ160kgを蒸しあげ、こうじ約36kgと生駒山中の湧水龍の口
から汲まれ約280リットルが入った酒樽に酒米を順次投入していきます
次に、お神酒は13日までの朝晩2回、宮座が長さ約2メートルのカイで
かき混ぜ仕込みを行いお神酒を完成させます。お神酒は、15日の秋祭
りには約500リットルのお神酒が出来上がり、還暦を迎えた宮座を祝う
神事のあと、参拝者にふるまわれる。今でもゆかりの枚岡神社には
届けています。
(造酒斎殿と造酒具は東大阪文化財保護条例により、文化財に指定され
ています。)
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今でもゆかりの枚岡神社には、御神酒を届けています。 枚岡神社
鳥居前 善根寺 春日神社 宮司
例祭日 10月15日
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本社拝殿正面に掲げられた「春日社」の刻字額は、江戸時代に 梵学研究と仏教の復興に尽くした慈雲尊者(1718-1804)の筆により、
寛正六年(1794)に寄進されたものです。この学の裏面の刻銘に
見える「東光院」は、もと宮寺として明治のはじめまで境内に存在
した真言宗の寺です。 彫られた春日社の文字に墨を入れ、輪郭を
金箔で縁取られ、朱文方印が添えられています。
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扁額には「日本最初春日神社」と記されている、春日大社から 最初に勧請したから日本最初春日神社
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梛(なぎ) 境内にナギの木 奈良春日大社に数本ある以外は
当春日神社のみである。
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梛(なぎ) その名が「凪」に通じることから船乗りの信仰を集めたが、船乗り
だけでなく、一般の人たちもその葉を災難よけにお守り袋や鏡の
裏に入れる風習もあった。長さ4〜6cm、幅
1.7〜2cmの光沢の
ある葉は筋が強く、いくら引っ張っても切れないというので、夫婦の
絆が切れることのないよう願いを込めて鏡の裏に入れたという話や、
鏡の裏に入れておくと会いたいと思う人が鏡面に現れるという話など、
この木にまつわる伝説は多い。
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梛(なぎ) |
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玉垣奉納 |
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夫婦玉垣奉納 善根寺春日神社 敬神会会長 岸沢 冨美雄
この世に生まれ縁ありて共に暮らすおしどり夫婦春日神社に
玉垣奉納 (我は一代名は末代まで・・・・)
1基 ¥20万円−
(境内東側)お問い合わせ 090−8388−9667
会長 岸沢 冨美雄
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手水舎 |
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平成24年10月吉日
寄進者
敬神会役員有志一同 |
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拝殿前にある狛犬に、慶応元年(1865)の年号があり |
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春日神社の鹿です |
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神牛 |
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本殿隣に苔生した磐座があり、玉垣で囲われている |
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奥津磐座社 春日神社敬神会発足した昭和五十八年癸亥歳の十二月に先代宮司
松
諸榮が神様の御降臨を仰ぐにふさわしい処として祈願の場として
社を建立しました
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奥津磐座社 春日神社敬神会発足した昭和五十八年癸亥歳の十二月に先代宮司
松
諸榮が神様の御降臨を仰ぐにふさわしい処として祈願の場として
社を建立しました。
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平成29年9月23日(土) 第1鳥居の寄進者
辰己庭園 辰己
善治氏
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本鳥居は寛永11年(1671年)江戸幕府4代将軍家綱の 時代の物です。
寄付者 足立家2代頭首足立十兵正之
※この度鳥居のはそんが見つかり危険のため修理・修復工事を
行いました。(2017年5月21日)
修理・修復工事(奉納)
辰己庭園 辰己
善治氏
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直越稲荷 |
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直越道と刻まれた標石があります。 日下直越道は大阪と奈良を結ぶ重要な交易路でした。
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天満宮とお稲荷さん |
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善根寺春日神社は明治五年(1872)に「枚岡神社」に合祀され、 明治十四年(1881)に複社していますが、かつて境内には神宮寺
であった「東光院」と呼ばれた真言宗の寺院があり、明治五年に
廃寺となっています。社務所はその本堂の遺構の一部だそうで、
遺物として宝暦八年の年号がある半鐘や釈迦如来、普賢菩薩、
文殊菩薩木像、神鏡等が残されていたそうで、あと拝殿に掲げら
れている「春日社」の扁額も同様に遺物だと言う事です。
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おだいまつ プレート 昭和62年4月
孔舎衙農業協同組合
東大阪市教育委員会
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神紋が菊 |
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神武天皇御東征孔舎衛坂(くさえのさか)古戦場の石碑 皇軍(神武天皇)vs長髄彦(ナガスネヒコ)の古戦場跡
ここで天皇の兄の五瀬命(イツセノミコト)が矢に当たって負傷
皇軍が撤退することになる。
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安岡正篤先生 ※拝観するには、予約が必要です。
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安岡正篤先生 ※拝観するには、予約が必要です。
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安岡正篤先生 関西師友協会創立20周年記念
昭和52年3月13日(記念植樹)
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安岡正篤先生 関西師友協会創立20周年記念
昭和52年3月13日(記念植樹)
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安岡正篤先生 関西師友協会創立20周年記念
昭和52年3月13日(記念植樹)
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塩川正十郎先生( しおかわ
まさじゅうろう) 昭和62年8月吉日(記念植樹)
1921年(大正10年)10月13日 - 2015年(平成27年)9月19日)は、
日本の政治家。自民党の政治資金団体たる財団法人国民政治
協会会長および党友組織自由国民会議代表、東洋大学総長、
財団法人関西棋院前理事長、特定非営利活動法人武士道協会
理事長。愛称は「塩爺」(しおじい)。
衆議院議員(11期)、自民党総務会長(第1次橋本内閣時代)、
運輸大臣(第52代)、文部大臣(第108代)、内閣官房長官(第50代)、
自治大臣(第42代)、国家公安委員会委員長(第52代)、財務大臣
(第2代)などを歴任。
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本殿・若宮社は拝殿側からは拝観出来ません。 ※拝観するには、予約が必要です。
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本殿は、拝殿側からは拝観出来ません。 ※拝観するには、予約が必要です。
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若宮社は、拝殿側からは拝観出来ません。 ※拝観するには、予約が必要です。
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本殿の前にあり、拝殿側からは拝観出来ません。 ※拝観するには、予約が必要です。
おきよ石の由来
この上の二つの石は、はるばる宮崎県より運ばれてこの地に奉納された由緒の深い尊石である。昭和15年、文部省、海軍省、毎日新聞社等は相はかって、記紀の記録に基づき「神武天皇御東行順路漕舟大航軍」という計画を実施した。これは、当時全国的な大行事となり当地方も積極的に之に参加した。この石こそは、天皇御乗船おみたての「おきよ丸」に積みこまれてきたものであり、天皇御上陸地と縁も深いこの春日神社に奉置されたいわれの名石であることを後代のために茲に記す。
昭和五十八年十月十日 春日神社敬神会発足の佳日 春日神社
二十五氏族 謹誌
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本殿の横にあり、拝殿側からは拝観出来ません。 ※拝観するには、予約が必要です。
承応3年(1654)の石灯籠
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本殿の横にあり、拝殿側からは拝観出来ません。 ※拝観するには、予約が必要です。
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おかげ燈籠 拝殿南側には多くの燈籠が建てられ、玉垣内側に並ぶ燈
籠には、宝永六年(1709)享保十四年(1729)享保十五
年(1730)享保二十年(1735)宝暦二年(1752)の年号
がそれぞれあり、内一基は文政十三年(1830)の年号が
ある「おかげ燈籠」となっています。
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おかげ燈籠 拝殿南側には多くの燈籠が建てられ、玉垣内側に並ぶ燈
籠には、宝永六年(1709)享保十四年(1729)享保十五
年(1730)享保二十年(1735)宝暦二年(1752)の年号
がそれぞれあり、内一基は文政十三年(1830)の年号が
ある「おかげ燈籠」となっています。
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